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おくりびと

おくりびと [DVD]

アミューズソフトエンタテインメント


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by xavier_astro | 2009-05-15 00:00 | 映画  

おくりびと その1

何故、「おくりびと」?

初めて「おくりびと」の話を聞いた時、私は日本にいました。日本語がよくわからない私は、香港かまたはメキシコシティでの上映を待たなくてはなりませんでした。私の信頼する友人たちがとても夢中になってこの映画のことを話していたので、この映画を見るのを楽しみしていたのです。
彼らから映画のテーマと内容を聞いた時、アメリカのテレビシリーズの「シックス・フィート・アンダー」の日本語版のようなものかと思いました。ロスアンジェルスで葬儀屋を経営する家族のお話です。

その後、「おくりびと」はアカデミー賞授賞式で、最優秀外国語映画賞を受賞しました。日本の映画産業と私にとって嬉しい話、この映画を観られるチャンスが増えると、私は喜びました。そういうことで、次に香港に着くなり早々、「おくりびと」を観にブロードウェイ・シネマテックに駆けつけました。

最初の場面では大悟(本木雅弘)が納棺師(以来、新しい日本語を幾つか覚えました!) の儀式を演じていました。「おくりびと」はあのアメリカのテレビシリーズや、西洋式の死に対するあり方とはまったく違うものでした。大悟は葬儀でその催眠術的ともいえる優雅な所作を演じてゆきますが、それと対比して、唐突に面白おかしく描かれる、故人の性生活が遺族の前に曝されてしまう場面は、日本独特の美しさと悲しみの入り混ざった雰囲気を創りだしています。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-14 00:00 | 映画  

おくりびと その2

ジャンル

何人かの映画評論家が評しているように、「おくりびと」が「お涙頂戴物」であるということは、ある意味事実でしょう。確かに監督とプロデューサーは観客を感傷的に引き込もうとしています。ですが、観客に訴えかける喪失感や後悔などの感情は、ブラックユーモア的な場面や、葬儀での所作の美しさや、葬儀を通して変わっていく遺族の想いによって、うまく埋め合わせされていくのです。

また、大悟は自分が引き受けてしまった仕事の本当の意味を徐々に理解していくけれども、一方では、その仕事の内容を自分の妻に話せないと言う彼の辛い状況は、ホームコメディ(シットコム)によくある状況でしょう。

ここでの所作の儀式的な光景は、日本でもあまり知られていないし、ましてや海外では殆ど未知の風習で、観客を魅了します。この儀式が、「おくりびと」を、ある種の教育的なドキュメント映像とさせています。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-13 00:00 | 映画  

おくりびと その3

場面とその意味

先にお話した3つの要素(ブラックユーモア的な場面、葬儀での所作の美しさ、葬儀を通して変わっていく遺族の想い)の中で最も重要なのは、私が思うに、愛する故人が棺に納められるのを見守る遺族の態度が変化していくところです。そして、故人に対して行われる儀式は、それ自体が短いドラマとなっており、そのドラマの流れは日本的というよりはむしろ西洋的に構成されています。つまりアリストテレス的、理論形式的な三部構成です。

例えば、第一場面では、厳格な男が、遅れて到着した納棺師に向かってキツイ言葉を吐きます。彼は妻を亡くしたことで明らかに「怒り」を露にしています。
そして第二場面では、故人である妻が、愛らしくそして内側の叡智を秘めた本来の表情に変わっていくのを目撃します。
第三場面は、家族全員の「カタルシス(浄化プロセス)」と言えます。特に父親である故人の夫は怒りを手放し、自身の痛みを隠さずに表現します。結果、最後には大悟と彼の上司に感謝の気持ちを示すことができたのです。

監督は明らかに、これらの儀式を「舞台」として考え、カメラの位置を観客と同じ側に置いています。そして時々納棺師の周囲を黒くぼやかすことで、観客と遺族をその儀式に引き込み、それと同時に舞台的な感覚を体験させています。

確かに、この葬儀全体の流れや所作の順番の正確さから来る、これから何処へ向かうのだろうという期待感は、脚本のテクニックを感じさせますが、それと同時に、メタファー(比喩)でもあるのです。しかもそこに示されるのは、重要なメタファーで、「最愛の人を手放すためには、私たちはまずは故人が、生き返るのをこの目で見なくてはならい。そして初めて、彼らはその顔に生命の不思議を理解した者だけが浮かべる微笑を浮かべて、私たちの元を去って行くことが出来るのである。」と言うことなのです。

そして、この舞台は、遺体が主役であり、納棺師は監督です。人形を操る文楽の名人のようだとも言えます。そしてまた、大悟に関して言えば、彼自身は楽器を奏でる芸術家でした。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-12 00:00 | 映画  

おくりびと その4

大悟と父親の探求

ここでネタばれになってしまいますが、私たちの目的は、この映画の推薦ではなくて意味を掘り下げていくことなので、どんどん先に行きます。

大悟は最後には、自身のためのドラマの全てを演じることになります。彼の妻はそこにいますが、彼女のために行われる儀式ではありません。彼女はただ、彼自身の浄化プロセス(カタルシス)を目撃するのです。この観点からすると、メロドラマ的で、安易な偶然が重なりすぎると批判される、この場面こそが、「おくりびと」をとても深い映画にしています。

これはまるで、大悟のオーケストラからの解雇から始まり、故郷への帰還、そして彼の納棺師として真の天職の発見と続く、彼の人生で起きた全てのことが、彼を父親との再会(再対面)へと導いて行ったかのようです。そして、彼が自分を見捨てた父親にやっと会えたのは、死体となってからでした。

ここには心理分析的な理由が明らかにあります。それは、男が6才の男の子を見捨てて消えた瞬間から、もう彼の無意識の中ではお父さんは死んでいたのです。だから彼は父親の顔をずっと思い出すことが出来ませんでした。父親の顔がはっきりと思い浮かぶのは、息子が納棺師として全ての彼の儀式を行う時です。その一瞬、大悟は自分の父親を生き返らせることで、彼の顔を曇りなく見ることが出来るようになります。そして父親が自分を見捨てたこと、そして今また目の前にある父親の死のその両方の痛みを表すことになります。別れが同時に二度、繰り返されるのです。そして初めて息子は父親を手放します。大悟は今ようやく、父親のために本当に悲しむことが出来るのです。

大悟が父親を100%自分のものにするこの興味深い瞬間について多くを掘り下げていくことも出来ますが、ここではあまり深入りせずにしておきます。
彼は自分の親がいないということに対する痛みや、本当は彼に会いたいという自分の欲求を抑圧してきたということです。
ここでのメッセージは、「私たちは囚われを本当に理解した時に初めて、その囚われを手放すことができるのです。たとえそれが、日本の桜のように、どんなに儚く、つかの間のものであったとしても・・・。」と言う感じでしょうか。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-11 00:00 | 映画  

おくりびと その5

シンボル的な解釈

「おくりびと」を占星術的、そしてシンボル的に解釈してみましょう。
本木雅弘さん、と滝田洋二郎さんのチャートをそれぞれ主役と映画監督として見て行きます。ネット上で見つけた出生情報には出生の時間がなかったので、時間を正午とします。

最初に目を引くのは、滝田洋二郎監督、本木雅弘(主演男優)さん、そして山崎努さん(大悟の上司かつ父親イメージ)の全員がすべて射手座であるということです。残りの俳優や演出家のことは分かりませんが、もっと情報を集めてみると驚くべき結果が出るかもしれません。
この映画の中の主要人物である3人が同じサインであるということから、多くのことを読み解くことができます。
まず、ユング的な考え方や、占星術のよう伝統的学問から見ても、世の中にただの偶然は存在しませんし、そして世に出された、いかなる人間の創造物も、意識的というよりはむしろ、それ以上に無意識的に創造されていると考えられます。

そしてこのことを、私の独自の見方から解釈すると、世の中には大きく言って2つの正反対の傾向があると考えます。一つは崩壊や無秩序へと向かうもの、もう1つは構築、秩序化、構造化へ向かう方向性です。そしてアーキタイプとシンボルが、この動きを支配しています。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-10 00:00 | 映画  

おくりびと その6

3人の出生図

これらが3人の出生図です。
データが正しいと良いのですが、いずれにせよ、占星術の良い解釈の訓練になりますね。

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滝田洋二郎。

1955年12月4日
富山県高岡市生まれ。
アカデミー賞受賞映画監督。
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山﨑努。

1936年12月2日
千葉県松戸市生まれ。
俳優。
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本木雅弘。

1965年12月21日
埼玉県桶川市生まれ。
俳優。


何が、射手座の3人を結集させたのでしょう?
このサインの人たちが一緒に何かやるというのは珍しいことです。というのは、射手座は強い意志を持った人たちですし、人から簡単に何かをやれと言われることが嫌いだからです。
しかしここでは、彼ら3人とも射手座の水星(コミュニケーションの惑星)を持っているので、互いに調和を保つのは比較的容易であったと考えられます。つまり、直感的で非言語的なスムーズなコミュニケーションがあっただろうし、制作現場では、ジョークやユーモアが大きな助けになったことでしょう。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-09 00:00 | 映画  

おくりびと その7

土星と慈愛の魚座の集まり

この映画と3人のチャートの中の土星のシンボルを学ぶために、「おくりびと」の3つのメインテーマを抜き出しましょう。
それは、「死」、「父親」、そして「人生の目的」です。

3つのチャートには共通して、土星が感情との結びつきが強い水のサインにあります。そしてまた、俳優の山崎さん本木さんの土星は魚座にあります。これは慈悲、慈愛のサインですが、土星が水のサインにある場合、感情をブロックしてしまう傾向があります。(大悟は父親が自分を見捨てたことへの痛みを抑圧してしまい、だから父親の顔が思い出せなかったのです)
この土星が感情を抑圧するその最終的なゴールは、感情を解放させるだけでなく、そこから学ぶことにあるのです。そして魚座も射手座もともに、教えることや学びに関係する柔軟宮なのです。

私はいつも、蠍座の土星(この「おくりびと」の監督の土星は蠍座にあります)を説明するのに、「凍った死体」だと言っています。これは、決して起こりえない永遠の別れ、表現されえなかった激しい痛みを表していると言えるでしょう。土星も蠍座もともに、コントロールしたり、止めて塞いでしまう傾向があります。土星がこの位置にある時は、痛みを解放して、そして許しを表現するまでには時間がかかりますし、とても困難なプロセスになります。「変容のプロセスが妨げられている」と言えるでしょう。

滝田さんの蠍座の土星に冥王星が90°の角度をとっていることで、よりいっそうこの緊張の傾向が強められることになります。「おくりびと」は、創造的な方法を通して、獅子座の冥王星の(獅子座の月の助けもあります)素晴らしい成長過程を描いていると言えます。
獅子座は舞台やドラマチックな演出、舞台に関係していますし、冥王星は死と変容を意味します。それがゆえに、前に触れたこの映画の舞台的な要素がこのテーマを生き生きと展開させてゆくのです。

魚座の土星は、氷を溶かし、硬直した死体をマッサージしなくてはなりません。そして、この死体は、尊敬され、愛され、そして賞賛されるに値するのだと言うメッセージを伝えることで、私たちが慈愛とともに人生を充実させていけるよう、導いてくれるのです。

本木さんと山崎さん、二人のチャートの魚座の土星は、重なり合っています(コンジャンクション)。二人の年齢は、この天体のちょうど1サイクル分違います。それもあって、「父親と息子」、そして「上司と従業員」という関係性がこの映画では明白ですし、そこに射手座的な要素である「先生と弟子」という関係性が加えて描かれています。

そして非常に深いレベルでは、彼ら二人は監督の無意識のアーキタイプの特徴を表わしています。そのことについては推測でしか言えませんが、滝田さんが9歳か10歳ぐらいの時、土星が魚座入りして彼の太陽(父親イメージ)とスクエア(90°)になった時、父親との関係に何かが起こったのではないかと考えられます。
俳優二人の魚座の土星が、「おくりびと」の監督の太陽にスクエアになっているので、二人は監督に多くの無理をさせたことでしょうし、監督もまた、二人に多くを要求したのではないでしょうか。

「おくりびと」は、過去から負った深い傷を、芸術と慈愛を通して解放し、そして癒していくプロセスを描いた作品です。

今後もまたこのテーマを深めて行きたいと思いますが、今回はこの辺で一度、終わりにしたいと思います。

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-08 00:00 | 映画  

DEPARTURES (OKURIBITO )(1)(原文)

WHY OKURIBITO?

First time l heard about ‘Departures’ (Okuribito) l was in Japan and my poor knowledge of Japanese made me wait until the movie could be shown in Hong Kong or Mexico City. I was excited to see it because some friends, whose opinion l respect very much, had been enthralled by it; when they mentioned the theme and some aspects of the plot l imagined ‘Okuribito’ as the Japanese version of ‘Six Feet Under’, the HBO series about a family who runs a funeral home in LA.
Then came the Oscars Ceremony Awards, ‘Departures’ was awarded the Best Foreign Film and l was glad, both for the film industry in Japan and for me, knowing this would make easy now to find my way to see it; so l hurried up to the Broadway Cinemateque as soon as l arrived in Hong Kong where ‘Departures’ was being shown.
The first sequence showing Daigo (Masahiro Motoki) performing the ritual of a nokanshi (since then l acquired some more words in Japanese) lets clear that ‘Okuribito’ has little to do with the American series or with any kind of Western approach to death. Daigo performing those hypnotic elegant movements, the sudden contrast of humour and sexual life reference of the deceased in front of the family create an amalgam of beauty and sadness, so particular to the Japanese culture.

和文はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-07 00:00 | 映画  

DEPARTURES (OKURIBITO )(2)(原文)

THE GENRE

No doubt ‘Okuribito’ is a ‘tearjerker’ as some film critics have described it, it is clear that the director and the producers appeal to a sentimental involvement on the part of their audience, but the emotional frame of loss and regret they impose on the spectator is counterbalanced by the black humour of the situations, the beauty of the proceedings and the change of perspective within the family of the deceased during the ceremony. Thus, Daigo’s gradual understanding of the real job he has undertaken, his predicaments to keep the nature of this new job secret to his wife, are misunderstandings typical of a sitcom. The ceremonial aspect of the procedure, both mesmerizing and instructing the audience in an art not commonly appreciated in Japan, tradition basically unknown abroad, makes Okuribito a sort of pedagogical document in itself.

和文はコチラ
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by xavier_astro | 2009-05-06 00:00 | 映画