私たちはなぜ病気になるのか?真の健康とは?

「病気はある種の信念である」というのは、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの長編小説「ヴァニティ・フェア(虚栄の市)」の中で、語り手が伝える言葉です。ここ数ヶ月の間、私はこのことについてずっと考えてきたのですが、新たな発見もあり、自分が直観的に思ったことを確認することにもなりました。

最初に思い浮かんだのは、心気症(うつ)の人たちでした。彼らは自分が既に病気であるか、今にも重い病気に罹かかってしまうだろうと堅く信じて疑わないのです。心気症は感情面の混乱から来る病いであり、医者にも、その人の周りにいる人たちからも、その人が心気症だと認知されやすいものです。また、自分の中の恐れが病気の原因となり得ることを理解している人でさえ、自身の健康状態について、絶えず不安を抱いてしまうものなのです。



このことは、ただ単に自分の思い込みから病気になってしまうというようなことよりもっとずっと深い何かを示唆しているように思えます。また、神経症患者に見受けられるような、感情を使って周りの人々をコントロールしたり利用したりするような心理メカニズムとも違うようです。

私たちが病気と信念を結びつける時、そこには人生観やイメージによって築き上げられる信念体系や価値付けが関係しています。この観点からは、病気はある種の信条、ある考えを堅く信じているような主義的なものであると言えそうです。病気になるには病気のロジックがあります。病気になることで何か別の利益になるものを得ようとしているのかもしれません。症状は、どうやって自分自身をコントロールするのかを教えてくれる法則でもあります。病気という危機的状況は、どこまでこの法則に従えるのか、あるいはもし法則に従わなかった時にどんな見返りを受けるのかも含めて、自分のできることの限界を設定しているのかもしれません。

これは恐ろしいことではありませんか。宗教などの信条は、狂信を引き起こします。自らの信条と闘いながら多くの人たちが死んでいきます。こういった狂信者が信じていることに対してどうやってきっぱり否定することができるでしょうか?

さて、conviction(信念、確信)という語の語源を探ってみましょう。とても興味深いです。中世のラテン語で「Convictio」は罪を証明する、という意味でした。17世紀になると、信じているという心の状態と結びつくようになり、そして19世紀には、固い信念、確信という意味の言葉になるに至りました。

このように「確信」は信じるという行為に、証明すること、罪、刑を宣告されるという観念が結びついている言葉なのです。私たちの無意識はこのことを分かっているのでしょうか?あなたは、この命をどう生きるのか、それを特徴づけるために病気を必要とするのですか?そうして、その病気に見合うように生きるのですか?

もちろん、病気にはそれ自体に病気になる理由があることを否定することはできません。動物だって病気になりますから。私たち人間にとっては、病気は客観的で現実的な体験なのです。ところで、赤ちゃんは「信念」が何か分かっているのでしょうか?赤ちゃんでも、病気になったり、何か特定の疾患をもって産まれてきたり、それによって死んでしまうことだってありますよね。こうした極端で明瞭なケースにおいてですら、病気は「信念」になりうると私は思うのです。どういうことか、これから説明しましょう。

赤ちゃんはまだ自我(エゴ)が発達していません。ウィニコット博士によれば、赤ちゃんのエゴは即ち母親なのです。赤ちゃんは肉体的にも感情的にも精神的にもお母さんの身体の一部だからです。母親こそがエゴそのものであり、その子は、母親の信念体系を持ち合わせたエゴを身につけていくことになります。

心の発達は母親の代償として始まる、ということを思い出して下さい。母親から乳離れする過程において、赤ちゃんは母親から受ける保護と結びついているイメージや感情や考えとの隔たりや隙間を埋めようとし始めるわけですが、この過程を経て、精神、心が形成されてゆくわけです。心というのは、私たちを包んでくれているようなもの、あるいは泡のようなもので、その中で私たちは生きている、というのが私の持っているイメージです。例えば、私の心や私の生み出す考えというのも、外界から自分を護るための覆いのようなものとして役割をなしているというわけです。私たちはカタツムリのように殻を被った存在なんですね。占星術的に言えば、これは月に関連しています。

心、考え、感情、母親というのが、感情的に自分自身と病気とを結びつける大本になっているのです。病気は頑固な信念体系を反映するものであり、私たちは病気に固執し、殻として病気を使おうとしていると言えましょう。

では、私たちは一体どうしたらいいのでしょうか?病気が信念であるという考えが本当なら、どんな治療法も受け入れられないでしょう。ということならば、信念を手放すことによって、病気から解放されるということが言えると思います。これは、簡単に聞こえるかもしれませんが、問題なのは信念体系というのが、この世で最も変えることの難しいもののひとつだということです。病気が信念になっている人というのは、狂信的な原理主義者のようだと言ってもいいくらいなのです。自分の信条のために死ぬ覚悟のあるような過激なイスラム教信者に、あなたは間違っていると、どうやって納得させられましょうか?極めて難しいことでしょうが、それでも不可能ではありません。問題は、信念体系や強い思い込みが変化してゆくプロセスというのは、とても長くて痛みを伴うものだということです。

まず、20世紀の最後にニューエイジの潮流が提示したような甘い逃げ口上は避けねばなりません。ポジティブシンキングしましょう、とか、あなた自身の光、あなた自身の守護天使とつながりましょう、そうすれば、癒しが訪れることでしょう、などという安直なもののことを私は言っています。これは幻想であり、深刻な状態陥る危険さえ引き起こしてしまいかねないと思うのです。自分の闇に向かうことなしには、光に繋がることはできません。光に繋がるためには、自分の闇の部分を使わねばならないのです。

もうひとつ、楽観的であるがゆえに病気を受け入れられないというケースもあります。病気の元となる否定的考えや思い込みを自分が持っているということを否定してしまう人が、これにあてはまります。病気が末期にあってもなお、頑に否定し続ける人々を、私は何人も見てきました。

一体どうしたら、解決できるのでしょうか?この問題に対処できる効果的な方法はそう簡単には見つからない、と多くの人は思うのではないでしょうか。最も大切な第一ステップは、まず自分の信念について問いかけてみることです。自分だけが真実を知っているなどと思うような狂信者には決してならないことです。自分の信念体系について謙虚に関わらねばなりません。最終的には、私たちは自分の思い込みに対してではなく、真実に対して忠実になる必要があるのです。

病気という信念、というパターンを変えてゆくプロセスは深い傷を通過するものです。私たちは自らのエゴシステムと向かい合わねばなりません。自分は悪者かもしれず、さして重要な人物でもないということを受け入れねばならないということかもしれません。あるいは、自分自身が、愛を求めるために病気という信念を利用し、自分のエゴを満たすために自分のことを愛してくれる人を従わせようとしている、ということを受け入れねばならないのかもしれません。一体全体どうして、純粋にただ愛を求めることができないのでしょうか?
この人生に全身全霊で身を投じて、死を受け入れ、無条件の愛の道を選んでゆく。これこそが、私にとって真の健康の意味することなのです。(終)

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HEALTH


‘Illness is a conviction’, pronounces the narrator in ‘Vanity Fair’, a lengthy novel by William Thackeray. I have been thinking about the truth of these words for months; it has been a revelation and a confirmation of some of my own intuitions.

Sure, the first image that comes to mind is the hypochondriac, the person who firmly believes to be ill or about to fall seriously ill. Hypochondria is an emotional disorder, easily recognizable by doctors and people around the patient, sometimes even by the person herself who acknowledges to be possessed by her fear but cannot help feeling constantly anxious about her physical condition.

The statement, however, seems to imply something deeper than a simple allusion to the imaginary sick type; and different, too, from the psychological mechanism that allows a neurotic to control and exploit emotionally people around him or her.

When we associate illness to conviction, we are implying a system of beliefs and values, a vision of life and a way of constructing our image of reality. Thus, illness, from this point of view, would be a sort of credo. This would mean that we adopt the logic of an illness and behave according to what is expected of it. Symptoms become rules that teach us how to conduct ourselves; crises of the disease would set the boundaries of our possibilities, showing us how far we allowed to go and how hard we can be scolded if we do not follow the rules.

This is a frightening idea. A credo, like a religion, can provoke fanaticism; many people die fighting for their dogmas. And how can we contradict a fanatic?

It is interesting to explore the etymology (the origin) of the term conviction. In Medieval Latin, ‘Convictio’ meant proving of guilt. Later on in the XVII century, it was associated to the mental state of being convinced; and from the XIX century on, the term came to mean a ‘firm belief’ (http://www.etymonline.com/index.php?term=conviction).

Thus, ‘conviction’ combines belief with proof, guilt and even a notion of being condemned. Does our unconscious know all about this? Do we need illness in order to define our position in life and then behave in accordance to our illness?

Certainly, we cannot deny that illness has a reality of its own. Animals can become ill. For us humans, illness is an objective and concrete experience. Besides, what does a baby know about convictions? He or she can become ill or be born with a specific illness and die from it. But I still have reason to believe that even in these extreme and obvious cases, illness can be a conviction. I will try to explain why.

We know that a baby does not develop an ego until late. A baby’s ego is its mother, according to D.W. Winnicott. A baby is part of its mother physical, emotional and mental body; the mother is the ego; the child acquires an ego for itself equipped with the mother’s own system of beliefs.

Let us remind that mind starts as a substitute of our mother. This means that in the weaning process (process of separation from the mother’s breast), the baby starts filling the gaps and holes with imagines, emotions and thoughts associated to the mother’s cares, this becomes the mind. Personally, I see the mind as a sort of wrapping or a bubble inside which we live. My mind and the thoughts I produce work as a cloak which protects me from the outer world; each individual is a sort of snail carrying its own shell. In astrology this corresponds to the Moon.

Then the equation mind, thoughts, emotion, mother, related to our theme, suggests that we attach ourselves emotionally to our illness, whenever illness is a conviction. Not only does an illness can reflect a firm system of beliefs but we cherish it, we use it as a shell.

So, what use can we make of all this? If it were true that an illness is a conviction, then the remedy would simply be rejecting it. Liberated from the credo, we would be free from disease. It sounds easy, but the problem is that a system of beliefs is one of the most difficult things to change in this world. The person for whom illness is a conviction is a sort of religious fundamentalist. How can we convince a radical Islamist, ready to die for his dogmas, that he is wrong? Terribly difficult, but not impossible; the problem is that transforming one’s convictions involves a long and painful process.

First, we must avoid the indulgent escape exit that some New Age currents proposed in the last decades of the XX century, just think positively, connect yourself with light and with your angels, and your are healed. This can be an illusion and it can even prove dangerous for tackling serious conditions. The problem is that we cannot connect with light if we do not explore our darkness; to access light we have to use the contents of the dark side.

The other issue is the positive denial. This is the type of person that simply denies having any negative thoughts or having any kind of conviction as an illness. I have met people who keep this posture even when they are terminally ill.

So, what could be the solution? It is hard to find an effective way of dealing with this problem; mostly, we have to think and reflect about it. Personally, I think that the most important step is to question our beliefs, never behave as fanatics who think that only they possess the truth. We have to be humble in relation to our system of beliefs. In the last instance, we have to be faithful to truth, not to our convictions.

Changing the formula, illness as a conviction, is a lacerating process, we have to confront our ego system; it means that we have to accept that we can be wrong, that we are not so important, and above all, that we use the conviction of illness as a way to ask for love, and then summit those who love us to our ego wishes; why not ask directly for love. The challenge is to throw ourselves totally into life, accept death, and take love without conditions; this is what health means, for me.(the end)
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by Xavier_Astro | 2015-02-01 00:00 | 心理  

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