土星 = ヨガの達人(1)

私はこれまで何年にも渡って、ヨガと占星術を実践してきましたが、ヨガと土星が同質のものであると確信するに至りました。別の言い方をすれば、土星とヨガは同じ原理を表現する別々のシステムであり、共に構造に関係し、私たちの経験における物質的、具象的な現実という最も根幹のレベルに作用するものです。またどちらもその役割を遂行する時に、時間というものに従属するという共通項があります。現実的な存在と時間というものが、ヨガの実践と土星のもっとも重要な道具であると明言することができるでしょう。



私が唱えようとしている主張は、一般のヨガスクールの先生にとっては安易に受け容れられるものではないかもしれませんが、この原理のどんな正統な実践であれ、人生における意図的な選択するかしないか、また、努力して続けるかどうか、それ次第なのです。健康と経験による知恵と心の平安は、何年も頑張って続けた後にその報いとして得られるものなのです。とはいえ、どんな人であっても、これは可能だと私は考えています。つまり、私たちはみな、生まれてからずっとヨガのようなことをやり続けてはいないでしょうか?環境に適応し生き抜くための絶え間ない闘いは、日々決められた仕事を行い、それに専念すること、そしてそれを完璧に行うことを要求するのです。黄道十二宮のシステムにおいて、土星は、人間という種の保存と発展を得ようせんがための避けられない懸命の闘いを象徴するものなのです。私たちは、種としての存在や、何より進化発展という点で、土星原理に従っているのです。

土星が、個人を現実に立ち向かわせる時に、私たちは挫折や失敗の対処法を学び、適応するための家族システムや文化システムを使うことを学びます。社会が要求し、よしとみなす、存続させるためのその最善の方法に従って、コミュニケーションを図り行動するということを学びます。同時に、私たちはその人独自の環境でうまくやるための個人的な道具となるものを発展させていくのです。社会が私たちに提供するよりよい要素を携えるために闘わねばなりませんし、社会的ゴールを達成するために十分な努力をしてゆかねばなりません。私たちは成功と保証を得るためにたゆまぬ努力をし、競い合います。自分の地位を守るために懸命に働き、でき得る限り向上し続けねばなりません。進化論的な視点では、社会というものが容易に人々の失敗を許せなくなってしまっています。それは、成功できないということが、文化や人間性の存続さえ危うくするからという理由でです。個人が失敗すればするほど、社会はますます衰退し、壊滅状態に至るやしれません。

確かに、近代文明はこの上なく複雑化し、成功のイメージを持ちづらくなってしまっています。土星の最も重要な役割は、本当の成功像とそうでないものとの見分け方を、私たちに教えるということです。お金持ちになること、有名になること、メディアに知れ渡ることなどは、種の保存と発展にはなんら関係がなく、それどころか、私たちの先祖が私たちに残してくれた文明の最も素晴しい側面を、最終的に損なわせてしまうことになりかねません。土星は、現実に対するどんな誤った考えに対しても、極めて批判的で厳しいのですが、それは、確実な現実に根ざしていないのならば、努力と結果というものはおおよそ危ういものになってしまうからなのです。

より深く見ていきましょう。浅薄な価値づけによる批判、あるいはエゴが得意とする度を越した批判は、今に始まったことではなく、それこそ人類史が始まった時から、宗教と精神の伝統は、高慢と虚栄について、男であれ女であれ警告してきたのです。神話の主な内容といったら、エゴの拡大、すなわち傲慢と呼ばれるものに対する警告ですよね。

古代ギリシャの伝統のうち、クレタ島のラビュリントスの神話は、人類の発展にまつわる叙述の中で、最も完璧で、よく描かれているものの一つとなっています。

ミノスはクレタの王となり、神であるネプチューンから、正統の印である美しい白い雄牛を送られました。ミノスはその雄牛を神への捧げものにすべきと分かっていたのに、自分のものとして所有することにしました。このことは極めて酷い神への冒涜を意味します。アフロディーテは、ミノスを罰するためにその妻パーシパエーに性欲を起こさせ、その雄牛と性交させました。そうして、雄牛の頭を持つ人、ミノタウロスが誕生したのです。ミノスは偉大な建築士であったダイダロスに命じて、ミノタウロスを幽閉する迷宮を作らせました。ところがダイダロスが仕事を終えると、ダイダロスは息子とともにこの迷宮に閉じ込められてしまいます。ミノスは自分の秘密が暴かれることを恐れて、この父子には死んでもらうつもりでした。ダイダロスは、ガチョウの羽とワックスを用いて、自分自身と息子イカロスのために翼を念入りに作りました。彼らは牢獄から逃れ、飛ぼうとしました。父は息子に、飛ぶ時には高過ぎても低過ぎてもダメだと忠告しました。低過ぎると、羽が濡れて沈んでしまうだろうし、高過ぎると、太陽の光がワックスを溶かしてしまい、落ちてしまうだろうからです。けれどもイカルスは自分は飛べるんだと知った時、忠告を忘れて有頂天になり、空へ高く舞い上がり、そうして彼は海の上に落ちていき、クラッシュしてしまうのでした。これがこのお話の顛末です。

私たちは目的のためにはダイダロスの方針に従うまでです。ミノタウルスと彼を討ったテセウスはまた別の進化の方向を象徴しています。あらゆるシンボルと、土星の役割と苦難という構成要素がこの神話に凝縮されています。全てはミノスの犯した罪から始まったのです。その傲慢さと、法に背くような王となろうとするような誤った考えが全ての始まりでした。しかしながら行為は結果を生みます。王は共同体の主軸を意味するものですから王が過ちを犯せばその国は脅かされることでしょう。雄牛は本能と豊穣、一族の資源、富を象徴します。雄牛を生け贄にしないということは、個人的な理由でみんなのものを盗むということを暗に示しています。このようにして、人々の生存は危険に晒されるというわけです。ミノスはその不道徳的な行いではなく、生存のための構造の軸を捩じ曲げたという理由で罰せられたのです。土星は倫理観によって満たされるということはありえません。土星はただ、保存と進化の原理に基づいて行動と結果をうまく操っているだけなのです。

最も大きな結果といったら、ミノタウルスであり、進化の方向における過ちの現れということになりましょう。それがもとで、半人半獣の姿は、動物の本来の姿から衰退するということであり、創造のエネルギーを閉ざすこぶのようなものなのです。それがゆえにミノタウルスは若者たちによって育てられねばなりませんでした。化け物、私たちの内なるモンスターは私たちの創造性を呑み込むブラックホールのようなものになってしまうのです。ダイダロスに迷宮を作るように命じた時、ミノスには素晴らしい考えがありました。ミノスは変容する可能性があるのでその化け物を殺すことはできないと分かっていました。彼にはただ時間が必要だったのです。これは土星のきわめて特有な側面です。土星は、私たちの過ちを用いて、進化の新たな可能性を開こうとするのです。迷宮は、技術と実利的な知性、芸術様式を含むものです。一方で、この迷宮という構造物が、陥れる罠や挫折、欲求不満、そしてまた同時に、対称性、均衡と秩序を連想させるのです。ミノスは再び人を欺き、自らの権力のために、共同体の資力である才能溢れる建築家を裏切ったのでした。

ダイダロスが象徴するのは、一個人としても個人を超えた存在としても、進化の過程における知性と英知の贈り物です。類人猿、あるいは人類の先祖が、困難な状況に陥った時、あるいは新たな可能性や技術が生まれようとする時においてはいつでも、人類は大いなる飛躍を為したのです。成熟というのは、期が満ちることであり、この時間をかけて獲得された特性は、新たな道と可能性を開くための基礎となるものです。イカルスは若さの象徴であり、新しい道具と武器をもって自己を発見するという、まだ未経験な創造的な衝動の象徴でした。ダイダロスはいかなる革新も賢いやり方で行なわれねばならないことが分かっていました。またこのことは倫理観の問題ではなく、理論の形式と、実践する意識の問題なのです。(土星の要求するものはいつだって実践的です!)私たちはこの自然の法則に敬意を払わねばなりません。(続く)

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2013-01-02 00:00 | 占星術  

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