日食と日本(1)

今回の東京滞在で、私は幸運にも完全な金環日食を見ることができました。これは人生にそう何度も見ることのできない稀な天文現象です。日食が、なぜ、どのようにして起こるのかその理屈は簡単です。ブリタニカ百科事典によると、日食は月が地球と太陽の間に位置し、その月の影が地球の表面を通過する時に起きる現象と説明しています。このことは、小学校で習いましたね。近頃は、インターネットやメディアを通じて多くの情報が得られるので、誰もが日食のしくみについてのちょっとしたエキスパートになれるでしょう。



学校の先生やメディアに出てくるような科学者たちが、食について説明する時に強調しがちなことのひとつに、こういった現象ついての理にかなった説明です。教育者たちは意識的にせよ無意識的にせよ、生徒や大衆を迷信や無知から守ろうとやっきになっているように思われます。かつて人類は食というものを恐れ、あらゆる大災害は、この天文学的自然現象によって引き起こされるものと見なされてきたのです。

食という事象についてどれだけ情報を与えられたとしても、食、特に日食を観るということは、魅惑的で特別なスペクタクルであると言えましょう。理性的であろうがなかろうが、科学者であれ芸術家であれ、詩人であれ教授であれ、私たちは誰しも宇宙に働く力の影響というものを感じるはずです。科学者にとっては、物理学や天文学をさらに理解する絶好の機会となり、また、詩人や哲学者にとっては、宇宙における人間の存在のはかなさを知ることのできるチャンスとなることでしょう。太陽が月に隠されるほんの短い間に、私たちを取り巻く環境すべてが一変し、日の光は暗くなり、鳥たちは眠りに巣に戻ります。そして、地球と月が太陽の周りをどれだけ速いスピードで移動しているかを知って、私たちはさらに深い感銘を受けるのです。軌道を時速数千マイルの速さで廻っている惑星に私たちは住んでいるのです。

確かに、現代の世間的視点からは、食にまつわる迷信と食の意味の深さについてはっきり線引きすることは容易くはありません。集合的無意識にとっては、こういった自然の驚異は、あまりに強烈なので意味のないことには、し得ないのです。「真の畏怖の念」とでもいうのが、このような状況を表す妥当な表現といえるかもしれません。迷信のレベルにおいては、人々は恐れと、天啓として信じられ、受け継がれて来ている習わしとを混同して考えがちですが、それは他のどんな象徴的な事象や自然の兆候に対しても同じことが言えるでしょう。肯定的なものと否定的なものは同時に存在し、その予兆が悪いものでもよいものでも、共に連想して思い浮かべられるものなのです。例えば、中国のある地域では、食はドラゴンが太陽を食べようとしていると考えられており、ドラゴンを驚かして追いやるために、けたたましい音を鳴らし、空に矢を放ちます。またこれは私がインターネットで読んだことですが、日本では、暗くなった空から毒が落ちてくるのを防ぐために、井戸にふたをする習慣があったようです。

ともかく、このような迷信と同じようなものが世界中にたくさん存在していて、それらの共通項で目立つものといえば、空飛ぶドラゴンが太陽を破壊しようとしているというイメージなのです。この場合、ドラゴンとは光を覆い隠そうとしている暗闇であると解釈することができます。ほんの数分という短い時間でも、その瞬間、天空の太陽が消えてなくなるという状況は、現実に起きることであり、その時、宇宙の調和が奪われるのです。太陽は生命とその根源の象徴であるがゆえに、この世界における存在、地球上の生命が脅威にさらされる、ということのように思われます。

また他に、このドラゴンのイメージを持たせるものとしては、絶え間なく続く変化と循環するものへの認識と理解です。天空の動きから明らかに、太陽と月は地球の周りを一定周期で回っており、それらの絶え間ない軌道上の円運動からドラゴンや蛇を連想するのは簡単でしょう。実際、周期性を持つ活動はどんなものでも、生命や肥沃さというものに関連し、暦の月や年(月と太陽に支配される)というサイクルは、死と誕生に結びつけて考えられもしますが、これこそが全宇宙における絶え間なく続く再生ということなのです。 それゆえ、日中の光の中に突然夜が入り込んで来て、その周期が変えられてしまうと、何か宇宙の力に不調和が起きているに違いないとか、神々が人類に対して重大な警告を与えているのではないか、と思われるのです。

人々が食をどのように経験するかという視点から言うと、いつの時代であれ、世界のどの場所であれ、私たちが理解すべき重要なことは、この天上の現象をその人個人がどう経験するかということです。占星術は、地球を巡る惑星の見かけ上の瞬間を扱うもので、これらの惑星の動きの多く(例えば、太陽が地球の周りを回っているように思われる)は実際とは異なるわけですが、人々にとっては、本当のことのように思えるのです。これらの動きは個人の精神に深い衝撃を与えます。そしてその精神が私たちの宇宙の中でのあり方についての心理的、精神的な信念を創り出しているのです。これら同様の動きは、たとえそれが外見上のものであったとしても、きっと何か意味があって、神々やアーキタイプ、あるいは宇宙からのサインなのではないでしょうか。私たちはそれを読み取ることを学ぶ必要があるのです。

もっと危険な日食との関わり方は、これは迷信に近いレベルですが、闇が光に入り込む、夜が昼間に侵入しようとするというイメージから来ています。多くの低いエネルギーや悪い意図を持ったサイキックな者たちやグループは、日食を利用して、他者に対し、時には人類に対して、黒魔術を行ったり、破壊的エネルギーを使うのです。私がこれらの行いを迷信的だと言ったのは、そのような悪い意図を持った者が光より勝ることは決してないからです。もし仮にうまくいくようなことがあったとしても、ほんの一瞬のことに過ぎません。光はいつでも闇に勝利するのです。毎朝、必ず太陽が昇るように、いつの日食の後にも日は昇るのです。信頼できる人たちや霊的指導者たちから多くのことを学ぶまで、私はずっと、悪意に満ちたことが起こりうるという考え方に侵されないよう抵抗してきました。とにかく、このような危険に対する防衛策は、食が起きている間、祈り続けることです。

迷信の出所をもっと合理的に考えてみることもできます。例えば、先にあげた日本の慣習を取り上げると、日食の間、人々が井戸にふたをするという話は、人々が空を見上げることに気を取られている間に、危害を加えようとする敵からその町や村を守るためだったと考えることもできますね。(続く)

食(天文)(ウィキペディアより)

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2012-07-02 00:00 | 占星術  

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