大悪徳(悪習) 3(1)

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大罪のうち、嫉妬と高慢は互いに密接につながりあっていて、どちらも対人間において現れるものです。嫉妬心のある人は、自分の周りの人が自分よりいい物を持っているとか、自分より良い境遇にあるというような考え方をします。一方、高慢な心の人は、他の誰よりも自分が優れていると思いたがるのです。両者はともに、アイデンティティーを傷つけられたという感覚に苦しんでおり、前者は他者から侮蔑されていると感じ、後者は周りの誰よりも自分が勝っていると考えます。

両者とも自分の自尊心を守ろうとするわけですが、用いるのは正反対の方法で、それもまた互いに補い合っているのです。嫉妬心のある人は、誰かが自分より何かしらの優位な状態に立った時に、エゴを傷つけられたと感じて苦しみます。その痛みを埋める一番簡単な方法は、他者の良いところを汚し、時には傷つけることさえするのです。例えば、友人が身体的にあるいは精神的に優れているとすると、嫉妬タイプの人はそれを批判し、中傷し、時には危害を加えることもあるということです。高慢タイプの人は、他者からの屈辱を決して受けることがないようにして自分を守り続けます。そして心の内で、人々がどれだけ自分がすごくて重要であるか理解できないことに怒りを感じているのです。



どちらのケースも、セルフ(自己)は自身を拡大することができず、創造性のエネルギーは萎縮したままか、ほとんど表現されないままとなり、外界から感情が連なってひっきりなしにやってくるので、その人の創造性の可能性は狭められてしまうのです。嫉妬タイプは、自分がどんなことを成し遂げたとしても、他者が成したことと比較してしまい、 自分は取るに足らないと感じてしまうでしょう。自分自身の能力を認めることができないのです。高慢タイプは、世界は自分の偉大さを理解するに価しないと感じつつも、無意識に自分の才能の無さや、隠したい部分が露呈するのを恐れているのです。

これらは非常に痛みの伴う罪業であり、羞恥心と罪悪感が絡んでいることが多いものです 。またこれらの悪徳が自分自身の中にあると認めることのできる人は非常に稀です。しかし、これまでも言ってきたように、認めることこそが私たち自身を悪徳から解放する最初の一歩なのです。

私は最近まで、嫉妬(羨望)については、精神分析家のメラニー・クラインが彼女の優れた著書「羨望と感謝」の中で全てを語っていると思っていましたが、ガブリエル・テイラーの「大悪徳」は、嫉妬の本質について完全に理解するために、私が探し続けていた鍵となるものを与えてくれたのです。

メラニー・クラインは、羨望が、赤ん坊が生後、母親の乳房と関係し始めた時から始まるものであることを見出しました。ちょっと複雑な理論ですが、要約すると、赤ん坊は母親の乳房(あるいは哺乳瓶)との力関係にあり、この小さな貪欲な生き物は、乳房に象徴される喜びの源を自分のものにしようとします。しかしそれを支配できないと知った時に、それが羨ましくなり、同時にそれを破壊しようとするのです。クライン博士によると、もしその子がその羨望の感情を感謝の気持ちでもって埋め合わせすることができなかったとすると、その子は大人になってからの恋愛関係において、パターンを繰り返すことになります。自分の愛する人を所有し、支配しようするのですが、それができないと分かった時に、愛は憎しみと敵意に変わるのです。

ガブリエル・テイラーはさらに一歩進めて、その敵意や破壊的な感情を掻き立てるものは、恥の感覚であると唱えました。羨望を持つ人は、誰かが所有したり達成したりすることによって、自分が侮辱されたと思うのです。アイデンティティーが著しく損なわれた時、傷つけられたと感じるということです。テイラーはシェイクスピアの劇「オセロ」(副題;ヴェニスのムーア人)を例に挙げています。登場人物の内の一人であるイアーゴーはオセロを妬んで、嘘の話をでっち上げ、オセロの妻デスデモーナが副官キャシオーと密会しているとオセロに信じ込ませます。それを信じたオセロは妻デスデモーナを殺してしまうのですが、彼女が潔白であると分かった時、自ら命を絶ちます。イアーゴーはきわめて悪質な嫉妬タイプですが、イアーゴーがオセロを憎んでいたのは、当然自分が就くだろうと思っていた役職に、オセロが別の人間を昇格させた時に、侮辱されたと感じたためだと、テイラーは指摘しました。

つまり、イアーゴーは自分が嫌悪する者(オセロ)から虐げられ侮辱されたという感情に耐えられなかったのです。嫉妬タイプはアイデンティティーの傷ついた状態で生き続けることに困難を感じるのです。このような事態は会社や企業の中でよくあることかもしれません。社員や同僚が上司や他の同僚から不当に扱われたと感じるような時です。テイラーの考え方では、嫉妬は、他の人が持っている物を欲するということよりも、むしろ、侮辱され、虐げられたと感じることから生じるものだということになります。

嫉妬ついてのまた別の聡明な記述と説明は、前回に紹介したバルザックの有名な小説「従妹ベット」に見ることができます。年配のメイドのベットは、見栄っ張りで思い上がりの一族から、みすぼらしいとのけ者扱いされていました。一族のことを話していた時、彼女は「皆を思いしられてやる」と宣言し、一族の皆を破滅させようとするのです。シェイクスピアのイアーゴーと同様に、ベットもまた、他者が手に入れたものについて、当然自分の方が手に入れて然るべきだ、という考えから、名誉を傷つけられ侮辱されたと感じます。人生は不公平なものであり、今こそ復讐して埋め合わせねばならないと考えたのです。

ベットとイアーゴー、そしてこの大罪を犯す人々の問題は、他者の成功や、自分自身の中に生じる除外されたとか、侮辱されたという感覚によって、とても傷つけられたと感じてしまう点です。それがゆえに彼らは、自分の可能性や、自分の中にある他の性質を見ることができなくなります。嫉妬深い人は、アイデンティティーを喪失することで無気力になり、人生を先に進めることができなくなってしまうのです。この罪(過ち)には土星が関係しており、土星はその人に自分の制限に立ち向かわせるものです。もし、他人の性質や達成したことと自分を比べたりすれば、私たちは誰でも不利な立場に追い込まれますし、出生図の土星が強ければ強いほど、その制限の感覚は強くなります。しかし土星の役割というのは、私たちに、自らの不利な条件に向き合わせ、自分の他の性質を用いて、現実に適応できるようにさせることなのです。仮に自分がある程度の才能のを持ち合わせていたとしても、制限は私たち周辺に常にあってなくなることはありません。土星は、私たちがこうであったらいいと望むような形にではなく創られたこの世界で、生き抜くことを望んでいるのです。私たちは内側と外側の両方にある制限を越えていくことを学ばなくてはなりません。これが、嫉妬に対する美徳が思いやりであるという所以であり、自分が生かされていることに感謝し、そして自分の持てるものが多かろうが、少なかろうが、そのことに感謝できなければ、私たちのセルフ(自己)は開花することはできませんし、人類は進化することができないのです。(続く)

羨望と感謝 (メラニー・クライン著作集)

メラニー クライン / 誠信書房


Deadly Vices

Gabriele Taylor / Oxford Univ Pr (Txt)


オセロー (新潮文庫)

シェイクスピア / 新潮社


従妹ベット〈上〉 (新潮文庫)

バルザック / 新潮社


原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2012-03-02 00:00 | 心理  

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