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大悪徳(悪習) 1 (2)

ここで明確にしておきたいのは、私たちは個人の単なる道徳的な行いについて話しているのではありません。大悪習(この場合は怠惰についてですが)というのものは、私たちの人生に対する姿勢に影響を及ぼします。大罪は自己にとって破壊的なものであり、自己がこの世に開花することの妨げとなります。このことは、占星術のシンボルを使うとより明確になります。月はエゴ(自我)と関係しており、太陽は自己(個として唯一無二の存在の本質)と関係しています。言うなれば、怠惰は、月のひとりよがりな感情的な悪習慣が、その人の人生を支配してしまい、太陽の輝きを抑制してしまうことを意味します。そして活力を失い、最終的には身体の破滅を招く危険性があります。



月が輝くためには、太陽の光を必要とします。ユング心理学的に言うと、自我(月)は自己(セルフ)の能動的な関わり無くしては、創造的、独創的にはなり得ないのです。私たちが人生において自己実現をはたすためには、自我はセルフに従わねばならず、月は太陽に従わねばならないと、気づく必要があるのです。

悲劇ではありますが、今、言及したことの解りやすい例が、才能あるイギリスのシンガーでありソングライターであったエイミー・ワインハウスのケースです。彼女は1983年9月14日イギリスのエンフィールドで生まれました。死因は直接的にか間接的にかは分かりませんが、薬物及びアルコールの乱用によるものと言われており、エイミーは摂食障害や破滅的な恋愛関係など、非常に波乱に富んだ人生を送りました。彼女の出生図を見ると、月が他の惑星を圧倒しているかのように見受けられます。

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Amy Winehouse
14 Sep. 1983
10:25p.m.
Enfield, England

月こそが、彼女の出生図の中で一番高い位置にある惑星であり、それは土星のサインである冷たく憂鬱な山羊座に、突き放されたかのように位置しています。赤子の時から彼女の育った環境には、いつも悲しみと憂うつが存在していたということが分かるでしょう。私はこの惑星の配置を持つ女性が、過度の飲酒傾向と摂食障害があるという例をたくさん見てきました。また、月と海王星とのコンジャンクションは、エイミーに音楽の才能とひらめきを与えましたが、それは同時にまた、あらゆる度を超した行いと逃避行動へと、彼女を駆り立てたのです。この7室での(月、海王星の)コンジャンクションは、彼女の感情(月)やカリスマ性(海王星)を、彼女のオーディエンスや出会う人々に投影しているのだと一般的には考えられますが、しかし、彼女の人間関係、特に恋愛関係におけるその極端で唐突な関わり方を説明するものともなっています。彼女は一旦コントロールを失えば、自分の境界線がなくなってしまうことが分かっていました。エイミーはパートナーたちから感情の津波の影響を受けたに違いありません。しかし感情的に揺さぶられた後には、彼女はいつも裏切られ、悲しみ、見捨てられたという感情を味わったに違いありません。誰もが彼女の歌や歌声の中に、悲しみを感じ取ることができるでしょう。

彼女の出生図についてはいろいろ言えますが、ここでは、彼女が生き永らえなかったという事実について見ていきましょう。彼女のうつはかなりひどいものだったでしょうし、彼女が薬物依存することで見出した小さな慰めは、彼女をもっとヒドくさせただけでした。このような悪循環の中で、大罪が彼女の魂を滅ぼしてしまったのです。

勤勉さが、怠惰に対抗するための適切な美徳とされています。美徳という言葉は、ラテン語の男らしさから来ています。古代ローマでの理想的な男性とは、よく働き、自制心があり、勇気があって、現実的でありつつも霊的な者のことを言いました。いつの時代でも、総ての伝統的な教え(仏教、禅、キリスト教、イスラム教)において、その霊的指導者たちは自分の弟子に対して、まず第一にこの美徳を望みます。師は弟子に、鍛練、集中、そして持続的な訓練というものを要求するのです。怠け心が、心に棲む悪魔と呼ばれるような、自分を甘やかす考えや、恐れ、悪い習慣に流されやすいことを、指導者は知っています。祈りや マントラ(真言)、お経といったものは、霊的な道、あるいは自己開花への道という決まった方向に、精神を集中させておくためのものなのです。

霊的な指導者によって教えられるヨガや数ある他のシステムのような、訓練に集中する全ての手法は、心を清浄に保つために日々実践することが必須です。マザー・テレサは、ニューヨークの修道院に到着し、新聞のインタヴューに応え終わると、すぐさま掃除を始め、そこの修道女たちの雑用を手伝い始めました。彼女は、過度の興奮や自我の肥大が、破滅的な影響を与えることを知っていたのです。伝統的な鍛練法が目的とするのは、自己(太陽)が開花するように、その道を清浄に保つことに他なりません。私たちは、光のヴィジョンをつまらぬ考えで曇らせ、穢してはならないのです。

顕現者(釈迦、神の化身)たちや、あるいは、例えば、高度に洗練された真実や世界観を世に送り出した、イブン・アル・アラビーのような霊的指導者たちが、極めて基礎的な訓練や退屈な日常の仕事(洗濯、掃除)を、どうして初心者たちに課すのかを、本当に理解するのに私は何年もかかりました。自我というものは、自らの行動目的を確信するのに驚嘆するような特別な何かを欲するものですが、自分が掛けているメガネが清潔で透明に保たれていなければ、目の前の真実を見過ごしてしまいます。また、鍛練を続け、勤勉になるためには動機が必要だという人たちがいますが、それはまさしく、日々の鍛練を義務づけようとする動機こそが欠如しているのです。勤勉とはラテン語で、忍耐力、粘り強さのことであり、この美徳こそが、釈迦牟尼が臨終の床において伝えた最後の教えなのです。(続く)

原文はコチラ
大悪徳(悪習) 1 (1)

by xavier_astro | 2012-01-16 00:00 | 心理  

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