大悪徳(悪習) 1 (1)

七つの大罪については、キリスト教会の初期の教父たちにより言及されては来ましたが、中世の最も偉大な哲学者であるトマス・アクィナスによって、その著作である「神学大全」の中で定義づけされ、研究されました。それらを挙げると、高慢(虚飾)、強欲(貧欲)、色欲、嫉妬、暴食、憤怒、怠惰となります。これらは魂を失わせる原因とみなされたので、致命的な罪源と呼ばれたのです。皆、誰しも自分自身の大罪を自覚し、その対局にある美徳に支えられつつ、罪源と対峙せねばなりませんでした。美徳とは、高慢に対して謙虚、強欲に慈愛、色欲に純潔、嫉妬に思いやり、暴食に節制、憤怒に忍耐、怠惰に勤勉となります。



いつもなら、人に対して善悪を判断したり、善い行いを説いたりすることに、私は興味がないので、この様なテーマには惹かれなかったことでしょう。私にとって本当にその人の助けになるのは、その人自身の無意識な動機への深い理解であり、それこそがその人の人生に真の変化をもたらすものだと考えているからです。しかしながら、私のシェイクスピアの作品と、エリザベス女王一世時代についての研究の中で、オックスフォード大学出身のイギリス人哲学者による、七つの大罪に関する驚くべき研究に偶然に行き当たったのです。彼女は伝統的な倫理体系について近代的なアプローチを発展させた人で、新アリストテレス主義者であり、彼女の研究は、美徳についての理論を追求しようとしています。

それで私は、よく読んでみようと彼女の主な著作を取り寄せました。そして今や私は、彼女が発見したことを占星術と心理学とにつなげて考えることに、たいそう夢中になっているところなのです。彼女の名はガブリエル・テイラーというのですが、彼女や新アリストテレス主義者たちの倫理に対する見方が、私たちの出生図への深い理解を与えてくれるだけではなく、それに取り組む為の実践的なガイドとなり得るという、突然のひらめきを得たのです。それもそのはず、最初には古代ギリシャ人たちが、そしてその後に中世の聖人や哲学者たちが、日々の実践の中で、人々の人生をより良くして行く為の実用的な方法を教えようと、ずっと努めてきたことなのです。

古代から知られていた七つの惑星それぞれは、七つの大罪と結び付けられています。例えば、太陽は高慢、月は怠惰、水星は強欲、金星は色欲、火星が憤怒、木星は大食で、土星が嫉妬といった具合です。またインターネットを見れば、違った考えの占星術師がいることでしょう。例えば水星を嫉妬、土星を強欲などです。しかし、私は主な伝統的な出所のものと自身の研究を併せて用いています。また真の伝統的な考えとは、意見や主張によるものでなく、しっかりした知識と、その源への理解、そして深い瞑想からくるものです。

厳密に言えば、惑星それ自体は、悪徳や罪を象徴し得るものではなく、惑星は本質的には善なのです。惑星を臓器になぞらえると、太陽は心臓、月は胃、または子宮だといえましょう。それらが目指すのは、健康と幸福にほかなりません。しかし、惑星がその機能を適切に果たしていない時に、ダメージを受けた臓器のように、自身を不適切に表現してしまうことがある、ということができるでしょう。惑星やアーキタイプが、抑制または過強調されるような不適切な表現には、必ず土星が絡んでいます。例えば、火星は土星から影響を受けると非常に爆発的で、暴力的な気の短い性格となります。そうなると、その人は自己破壊的になり、他人をも傷つけるであろうことから、その人は、憤怒という大罪を犯しているということができるでしょう。

もっと言えば、火星が不適当な表現をするのには、必ずしも土星とのハードなアスペクトは必要ありません。抑制の欠如、欲求不満への抑えの無さ、そして土星の基本的な働きが、火星本来の主張の、混乱した否定的な表現を引き起こすことがあります。また、七つの大罪が、惑星本来の表現とは正反対の行動と関連づけられることがあります。このことについては、後で触れることにしますが、例えば、シャイでおっとりして見える人が、実は憤りに満ちていたり、怒りを抑圧していたりしている、いわゆる否定的攻撃性と呼ばれる状態がそうです。一般に否定的攻撃性と呼ばれるものは、他者に対して暴力的な態度をとらせる傾向があります。

ガブリエル・テイラーが探求した最初の大罪は、怠惰です。ラテン語では無感動を意味し、彼女によれば、無感動(怠惰)は精神的に消耗し、物憂げな状態で、それはエジプトの砂漠の僧侶たちが陥りやすい状態でした。現代の言葉では、欝や倦怠というふうに言えるでしょう。今の心理学では欝はその人を囚えて離さない(自分では脱け出せない)状態と説明しており、今日では誰も欝状態の人に対して文句を言う人はいないでしょう。それが悪徳や大罪となる?というならば、怠け心、無為、落胆、そして無責任といったものを引き起こし、そういう人々を淀んだ状態にと引き込んで行く、怠惰なるものは、どういったらいいのでしょうか。怠惰さは特定の精神状態を作り出し、その人は、ある決まったものの見方をするようになります。怠惰、あるいはこの罪を犯している者は、人生に対して「何も努力するに値するものは無い」というような態度を取るようになります。

私たちは誰でも鬱や、メランコリックな状態に陥りますが、怠惰は、頻繁で長期的なやる気のない状態を作り出します。私たちは、鬱状態から自分について多くを学ぶことができますし、私はメランコリックな時期無くして、適切な人格形成はあり得ないと考えています。けれども、怠惰さはその人をこの気分に陶酔させてしまうのです。そこに違いがあるのです。怠惰は意味が見出せないことを理由に、自分が社会と関わりを持てないことを正当化してしまうのです。その結果、絶望感、失望感、そして疲労感と消耗感が、その人の人生上の体験全てに付きまとうこととなってしまうのです。

全ての大罪、あるいはテイラー女史の本のタイトル名を借りるならば大悪徳(悪習)は、中毒性を持っています。それは「悪習」という言葉からもわかると思います。また怠惰は月と関連付けられますが、この惑星は、私たちが安心感を得るために行う習慣(良い悪いにかかわらず)と関係していることから、この罪をより中毒性のあるものしているのです。(続く)

Deadly Vices

Gabriele Taylor / Oxford Univ Pr (Txt)


原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2012-01-02 00:00 | 心理  

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