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映画、夢見る芸術 (1)

映画は19世紀末に生まれ、20世紀において最も重大な芸術的事象といえるでしょう。商業的であり、そして実験的な媒体である映画は、人間が興味を抱くあらゆる主題を採り上げてきました。個人的視点から社会的観点のもの、人間の世界から動物の世界、身近なことから世間一般のこと、微視的なものから巨視的なものまで、様々な視点のものがあります。中には政治、経済、教育目的の、あるいは主義主張の宣伝目的のものもありますが、たいていはエンターテイメント目的のもので、1911年に第七芸術と呼ばれて以来、この媒体の主流をなしてきました。映画は、ある種独自の方法で、他の全ての芸術を統合する、まさしく芸術であるといえましょう。



映画が、絵画や音楽、ダンスや詩、物語文学、その他全ての文学の様式を含むものであることはご存知の通りです。非常に固有の文化色の強いものもあれば、普遍的な表現もあり、特定の時代や場所についてのものもあります。例えばベトナム映画とか、フランス映画がそうであり、あるいは第二次大戦について語ることも出来ます。この新しい芸術は、他の全ての芸術に強烈な衝撃を与えました。文学や、舞台、モダンダンスの中にでさえ、映画的な表現があって、多くの作家たちは映画から影響を受け続けてきました。ディケンズメルヴィルといった偉大な作家たちは、自分の死後に、そんな強力な表現の手段が出て来るとは、知る由もありませんでした。

映画は、現代人の心(精神、考え)を変容させ形づくってきました。私たちはみな、映画的な言語の中で思考することが可能です。それぞれの持つその認識力や無意識のプロセスの違いにも関わらず、映画館の暗闇で映画を見ている時、私たちは、スクリーンに写された映像に、内なる宇宙が開かれ、同じイメージ、同じ感情を共有することになるのです。映画はある意味で集合的な夢として働くマジックだともいえましょう。映画の作られる過程はとても複雑で、多くの人々が製作にかかわります。映画の中で様々なアーキタイプが、およそ洗練された形で、それはいつも独創的な方法で、表現されるのです。その時、スクリーンはある種の鏡となり、観衆はそのイメージの連続性の中に捉えられ、魔法の迷宮の夢の中へと入っていくのです。

ですから、最初のフィクション映画を制作したジョルジュ・メリエスが、プロのマジシャンだったことはなんら不思議なことではありません。彼は1861年12月8日午前0時5分、パリに生まれました。シネマトグラフ(映画)の発明者であるリュミエール兄弟が、パリのグラン・カフェで最初の映写会をやった時に、彼は出席していました。射手座であるメリエスは、この新しい玩具が人類にもたらすだろう可能性があることを一瞬にして得たのです。彼は、自分のカメラを手に入れると直ぐに、脚本を書き、自分の映画を監督し、演じることをし始めました。1896年から1914年までの間にメリエスは、500以上の映画(1〜40分)を制作しました。その内のいくつかは今でも残されており、「シンデレラ」や「クレオパトラ」、「月世界旅行」(彼の作品の多くは ジュール・ヴェルヌの小説にも基づいている)、あるいはホラー映画の「悪魔の館」のような作品の中に、彼の非凡な才能を見てとることができます。

映画、夢見る芸術 (1)_e0182773_833154.gif
Georges Melies
December 8, 1861
at 00:05am
in Paris


ジョルジュ・メリエスの射手座の太陽は、双子座の天王星とオポジションしていますが、実際に映画の特殊効果を発明したのはメリエスでした。彼の革新的な天王星は、双子座の性質を活かして、カメラワークやフィルム素材を使った様々なトリックを編み出しました。メリエスは映画における映像言語を生み出したのです。言うなれば彼は、当時のスティーブン・スピルバーグ(85年後に出現したまた別の射手座で、同じく太陽が双子座の天王星とオポジションです!)だったのです。娯楽映画というジャンルのほぼ全てを創り出したメリエスはまた、時間と空間、そしてイメージの変容、特に人間の身体におけるイメージの変容(彼の蠍座の火星と牡牛座の冥王星のオポジションは、幾分サディスティックな性質がありますが、彼はそれらを独創的なやり方で表現しました)を通じて経験し体得しました。魚座の月はメリエスに、資質に富み、洗練された繊細さを与えました。しかし悲しいことに、非常な熱意(木星/海王星)がありつつも彼は世間知らずであったがために、人々(エジソンもそのうちの一人でした)は彼を虐げ、彼は貧困の内にその生涯を終えました。

20世紀は、メリエスに行った純粋なマジックショーに対抗し、多くの芸術的潮流が見受けられましたが、この最新の洗練された芸術(「アバター」を思い浮かべてください)こそが、彼を行動させたのです。映画においてはマジックとイマジネーションの境がないように、同様に、人類史上、あらゆる芸術における独自の表現方法において、個人意識、集合的無意識の創造性にも境界は存在しないようです。

1895年12月28日のパリ、リュミエール兄弟が彼らの新たな発明であるショート・フィルムを上映した日が、映画の誕生の時とされています。時間の詳細はわかりませんが、ショート・ムービーが次々と上映されたのは午後であったので、チャートの時間を正午で出してみました。私は聖地に足を踏み入れるつもりで、キャピュシーヌ大通りにあるグラン・カフェを訪れました。リュミエール兄弟の映画の殆どは、リュミエール工場から労働者たちが出て行くシーンや、電車の到着シーンなどのドキュメンタリーでした。映画の最初の観客だった35人が、スクリーンの中の電車が駅に入って来るのを見た時の驚きと興奮を想像してみてください。

人間の脳と心、そして無意識間の相互作用や生理学については、研究し発見されるべきことがまだ多く残されています。映画における錯覚は、残像とファイ現象の2つの視覚的な現象に基づいているとしか分かっていません。まず目の網膜に映し出されたイメージを脳が留めます。次に脳は連続するイメージに、動いているものと錯覚します。(ブリタニカ百科事典より) しかし、夢を見る時のメカニズムも非常に似ていると、私は思います(比喩的な話ですが)。記憶を含め、あらゆる重要な機能と関わる器官である脳は、月的な質を持っており、脳は月であるといえます。忘れてはならないのは、秘儀的教えにおいて、月はおおよそ、鏡、シャドウ、銀または写真などのイメージに関係しています。

それゆえ、心の中にいる誰か(水星?)が、夢の中でイメージを写し出しているのです。無意識はジョルジュ・メリエスの書いた物語のように、空間と時間の中で、私たちが経験から得たあらゆる種類の素材を集め、決して夢見ることをやめない私たちの夢を作り上げているのです。私たちの内にあるメリエス的な働きというのはとても多才で、エロティックなものからファンタジー、またはホラー(悪夢)といったどんなジャンルでも、夢に現してきます。夢の起こす作用のなんと可能性に満ちていることでしょう! しかし夢が作り出したこれらのイメージや物語には意味があるのです(木星)。何故ならば、私たちは消化(月)すべき個人的な感情があって、それらは理解されるべき意味を持っているからです。以上、イメージの生理学についての興味深い説明をしてきましたが、私が思うに、これら全てを機能させているのは、感情の働きとアーキタイプの創造力が為せる技だと思うのです。人間にとって、感情の働きと関係ないところで何かが起こるということはあり得ず、人間の性質に、機械的で独創性のないことなど存在し得ないのです。(続く)

映画、夢見る芸術 (1)_e0182773_8382553.gif
the birt of the cinema
December 28, 1895
at noon
in Paris



原文(英語)はコチラ

by xavier_astro | 2011-11-02 00:00 | 映画  

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