「風立ちぬ」

昨年10月の来日時、私は靖国神社にある遊就館(戦争博物館)に連れて行ってもらいました。その時、零戦(零式艦上戦闘機)の実物を初めて目にすることとなり、また、その機体に実際に触ることができたのです。その瞬間、この戦闘機の放つ強烈なエネルギーと威厳のようなものを体感し、深く感銘を受けました。

その時点では、宮崎駿監督の最後の作品「風立ちぬ」の主題と筋書きについて何も知りませんでした。香港でついにこの作品を観ることが出来た時(その後、何回も観に行きました)、私はこの映画の素晴しさに感動するとともに、芸術的とも言うべき航空機でありながら悲運の最期を遂げた零戦に、この手で触れることが出来たのですから、このシンクロをたいへん嬉しく思いました。



もちろん「風立ちぬ」は零戦の設計者である堀越二郎(1903年6月22日群馬県藤岡市生まれ)に敬意を払い作られたものですが、宮崎監督は映画の主題に生と愛と死、戦争と平和を巧みに採り上げ、生き抜くための経験と知恵を素晴しいシンフォニーに仕立て上げました。もっともこの映画は、人間の想像力と創造力を賛美するものでもあります。

様々な言語で書かれたこの映画の批評やコメントをたくさん読みましたが、それらの殆どが、宮崎監督の成し遂げた偉業について書き落としており、多くが政治と戦争についての偏見ばかり述べたものでした。芸術家が世間一般の道徳観に挑むような表現をした時、人々は自分らの道徳観の正当性を主張しようと躍起になるのですね。シェイクスピアの評論でもよくあることです。

まず、この映画の主人公は誰なのでしょうか?みなさん、すぐさま二郎だと答えることでしょうね。でも映画のタイトルが明確なヒントを与えてくれています。それは、「風」です。風という要素は、客観的思考や、知性と創造力の源、考えや概念を構築しようとする思考力などを意味します。風(空気)がなければ火(ヴィジョンと意志)は消えてしまいます。宮崎監督が直感的にこの風という要素について人物で表したのが、二郎なのではないでしょうか。この直感は決して間違ってはいないと思います。堀越二郎氏は双子座の最後の度数に太陽があり(出生時刻不明)、双子座の支配星である水星と、さらには冥王星とともに、この柔軟宮で風のサインである双子座にあります。
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堀越二郎
1903年6月22日
群馬県藤岡市生まれ

宮崎駿監督のチャート(1941年1月5日東京生まれ)には風のサインがありません。ですから、彼の精神的原動力は、土(太陽、土星、木星、天王星)と火(月、金星、火星)のサインの間で絶え間ない衝突が起こるところから来ています。それでも風の要素は働いていて、この映画においては魅惑的空想的なところに表れていますし、他の例えでは「千と千尋の神隠し」におけるハク(白竜)の戦いや、「ハウルの動く城」におけるハウルの戦いがそうです。ユング心理学では、風を客観的思考の作用とみなしますが、とすれば、宮崎監督に欠いている機能かもしれません。(風の要素の欠落)風のエネルギーは宮崎監督の無意識の深いところから新しい視野を開かせるものだと言えるかもしれません。天才奇才と言われる人たちが創造的であるというのは、チャートのこの四大要素の働きにだいたい表れています。
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宮崎駿
1941年1月5日
東京生まれ

この映画のタイトル「風立ちぬ」は堀辰雄の小説から来ています。宮崎監督はこの小説に触発されて漫画を書きました。堀辰雄(1904年12月28日長野生まれ)は日本の作家ですが、フランスの詩人ポール・ヴァレリー(1871年10月30日7:00am仏セット生まれ)の有名な詩から起用して、彼の小説のタイトルに「風立ちぬ」とつけました。「風立ちぬ、いざ生きめやも。」(風立ちぬ、生きねば。=風が起きたのだから、生きねばなるまい。)このヴァレリーの詩は「海辺の墓地」という死について謳った美しく形而上的瞑想的な詩で、最後は人生をあるがままに受け入れ生き抜くための救いと励ましの言葉で締め括られます。ヴァレリーは蠍座で、月は双子座にあり、これは感受性と水の組み合わせであり、死に取り憑かれると同時に生きることの謎に魅了されるということも表しています。
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堀辰雄
1904年12月28日
長野生まれ

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ポール・ヴァレリー
1871年10月30日
7:00am
仏セット生まれ

複雑に聞こえますが、このシンクロニシティは驚くべきものです。簡単に言うと、論理性、想像力と知性を表す風の要素は宮崎監督のチャートでは、アクティブではないわけですが、つまりこれは、まだ意識化されていないということを意味しています。つまり宮崎監督が漫画や映画など何か形にする時、彼の無意識は彼自身の詩的表現の中に風の要素を放っているのだということが出来るでしょう。主人公を決める時、無意識のシンクロが起きて、双子座の堀越二郎というように風のサインを持つ人物を選び、彼の精神を伝える媒体となるのです。堀辰雄は堀越二郎と同時代に生まれ、宮崎監督と同様に山羊座です。堀辰雄が小説のタイトルにヴァレリーの詩を起用した時、彼の無意識の内にヴァレリー(双子座の月)と堀越二郎とを結びつけていたのかもしれません。風の双子座はこの映画においてはとても顕著に表れていて、二郎の声をやったアニメーター庵野秀明もやはり双子座なのです。

土星、水星、天王星の天体は、これらの芸術家、クリエーターたちのチャートにおいてあまりに活発に働いています。土星は、戦争、政治、困難、病気、結核、喪失、死、失望、重労働など、人生における厳しい現実を表しますが、この物語の中ではメランコリックなムードを醸しています。水星は、二郎、宮崎監督、堀辰雄、庵野秀明らの鋭い知性と技能を表していますが、漫画は常に水星的な要素を含みます。天王星は、これまでの革新的な発見や高度な科学技術にはつきもので、映画作品においても同様に天王星が必ず働いています。天王星のアーキタイプは、科学技術や歴史を塗り替えてしまうような予期できない過激な事件や出来事に、常に絡んでいます。関東大震災と戦争が日本を変えてしまったのです。

「風立ちぬ」の物語と零戦の陰には、もっと深いアーキタイプが隠れています。堀越二郎とその仲間たち、二郎の英雄で夢に出て来るカプローニ、作家の堀辰雄もですが、冥王星が双子座にあります。冥王星双子座世代共有の強迫観念があるわけですが、これらの人たちはみな、飛ぶことに取り憑かれました。想像力と科学知識(双子座)を使い技師として働き、航空学の革新のために貢献した人たちでした。

「風立ちぬ」の最後に出て来る戦闘機のセレモニーの場面は、第二次世界大戦がエネルギーや創造性、人の命を無駄にしてしまったことを暗に表してると思われますが、これこそ双子座の冥王星の表現なのです。そして私は理解したのです。私が遊就館で零戦に触れた時の目の眩むような感覚は、零戦が双子座の冥王星であり、神と恐怖が結びついたものだからだったのだと。

宮崎駿監督は彼の映画人生の最後となる作品を通じて、私たちにこんなメッセージをくれたのではないでしょうか。人生は痛みと恐怖に満ちているかもしれないが、最後に残るのは愛、発見する力、無限の可能性を想像し生み出す力なのだ。風が起きたなら、生きねばならない。(終)

原文(英語)はコチラ

「風立ちぬ」公式サイト
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by xavier_astro | 2014-02-02 00:00 | 映画  

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