2013年と新年が象徴するもの(1)

新年を祝うことは何千年もの間、世界中でずっと行なわれてきた行事です。私はこの重要な行事に、個人としてあるいは、グループとしてでもそこに参加して祝うことの大切さをより一層強く確信するようになりました。私たちの精神の発展プロセスは、この時代の過渡期に生まれ変わるという象徴的な事象に共鳴してゆく必要があるのです。古いものを手放し新しくなるというメッセージを私たちの無意識に伝えねばなりません。私が学生の時分、懐疑的で哲学的に過ごしていた若かりし頃には、残念なことに、世界中で起きているこの事象の持つ何らかの意味を否定しようとしてしまっていたのです。



当時、弁証法的唯物論に関わっているようなインテリの仲間といた私は、大晦日はいつもと同じように過ごすと決めていました。人生は一直線に進むように進行し、循環するサイクルというのは幻想に過ぎないと、我々は断言していたのです。幸い、我々は家族との晩餐を抜け出そうとしたことなどはなく、パーティや花火、ワインやシャンパンの泡など、人を酔わして陽気にさせるような雰囲気の中で過ごしたのですが。

後に私が古代の文化やその原型の象徴的な宇宙について学び始めた時、(最終的には占星術に出会うことになるのですが、)仲間や自分のしてきたことがどれだけ馬鹿げていて、思い上がっていたかを恥じることとなりました。原初の、あるいは伝統的な文化が無知なわけでは毛頭なく、むしろ人間と宇宙とのつながりについて知っていたので、その復活再生する周期を祝ったのでした。彼らは宇宙がどのように営まれているのか深く理解していました。自然界における循環周期と復活再生のしくみは、基礎的な心理学的プロセスと同様、天文学的な事実なのですが、個人であれ集団のものであれ、そこで行なわれる復活の儀式が慣らされていなければ、人も社会も重篤に病んでしまいかねないのです。つまり、再生するという健全な機能が失われたならば、衰退と病気が生じてしまうのです。

新年を祝う日をいつとするかには、いろいろ説があります。ブリタニカ辞典の解説には、紀元前2000年からの主な文明のたいていは地球の周りを太陽が巡る(ように見える)天動説に従っていた、とあります。至点(夏至・冬至)と分点(春分・秋分)が、循環の周期と時間の復活を示す基準点でした。バビロニアでは新年は春分(3月4月)、アッシリアでは秋分(9月)に始まるとしていました。秋分はエジプトやペルシャ、フェニキアのような大きな文明でも使われていました。ギリシャの伝統では冬至(12月21日)前後で、時には夏至のこともありました。ローマでは当初は春分でしたが、やがて1月1日に祝うようになりました。

中世の頃、キリスト教会は同様に春分もしくは冬至辺りを選んでいましたが、イエス・キリストの誕生日に関連づけて変更しました。今日では、日本と西欧諸国が1月1日に新年を祝いますが、タイや中国、ユダヤやイスラムを含む多くの国々のように、太陰暦に基づいて新年を祝う文化においては、歴史を遡ってもずっと1月1日を新年としてきました。

従来、新年の日を決めるのに考慮されたのは、太陽及び月の運行と律動に関係している日取りでした。太陽と月は、何千年もの間、最も重要な人間の活動を導いてきたのです。太陽と月のどちらを重要視するかはその文明によって違うのですが、どんな暦であれ、太陽と月という天体間の律動に従って作られています。実際、土星が、伝統的な暦の構成や、新年の日を決めているなんていう話は、あまり聞かないですよね。

しかしながら、一日に、あるいは一年に太陽が描く円の軌道は土星によって構成されているとも言えるのです。7番目の惑星、目に見える範疇にある惑星である土星は、空の最も遠く、最も高い所のものを象徴しており、他の惑星を安全に守るドアなのです。そのドアを越えると無秩序の世界が始まるのです。土星はそうした囲われた場所であると同時に軸でもあるのです。最も高い権威と他の惑星の動きを操る指揮官の役割を担っています。土星はどのように「時間」という象徴になるのでしょうか?直感や啓示はどこから起きてくるのでしょうか?土星が30年という長い周期を持っているからなのでしょうか?

占星術の曼荼羅=チャートにおいて、月と土星は向かい合わせで、蟹座と山羊座の支配星として切り離せないシンボルとなっています。まず尽きることのない肥沃さの流れ、次にその流れを制御し秩序立てます。そのどちらも周期運動に関係しており、月は絶え間なく命を誕生させ、その命を育むその流れを作り続けます。土星は自然界において逸脱しようとするものを間引くことで、周期運動に均衡を保たせるのです。土星も月も生命エネルギー、つまりは太陽のために働くような存在なのです。伝統的象徴的な言い方をすれば、月は太陽の血管であり、土星は太陽への道であり、方向を示すものであると言えましょう。生命の木は、永遠に再生し続けるという約束を果たすために相応しいように、形づくられねばならないのです。

太陽は生命に必要不可欠なものの象徴であり、人で言えば、生まれたての赤ちゃんが、生命を象徴する明確なイメージのひとつでしょう。毎朝太陽が昇り、また、一年かけて巡るその軌道上に、春分、夏至、秋分、冬至が、角度をとるごとに、新たに生まれるというイメージが強調されるのです。それが故に、多くの伝統において新年は神が生まれる象徴とされてきました。イエス・キリストしかり、ミスラしかり、ゼウスや他の神々しかりです。私が以前のワークショップでコメントしたように、神話の伝統が神の誕生や幼少の頃について触れる時、その神の伝記を伝えているのではなく、天啓や復活する力の顕現を表しているのであって、私たちはその永遠の若さという恩恵に肖ろうとしているのです。

それゆえ、再生復活のイメージがもたらす最も重要な啓示は、私たちは生命を生き存えるための生きる力を持ち続ける資質があるということだけでなく、死が終わりではないということを絶えず思い出させてくれるのです。太陽が夜を越えるという道のりから帰って来る、スタートした地点に戻って来るのと同様に、私たちの生命もまた活動をしています。私たちの内なる太陽は、死に打ち勝とうとします。そしてそこで、土星は私たちに打ち勝たせようと働き、人生において欠くことのできない重要な仕事がなんであるか、私たちが進まねばならぬ道はどこであるのかを思い出させてくれるのです。出生図というのは宇宙の全ドラマを表現する地図であり、完全な統一体としての人間は、死に立ち向かう太陽の闘いの場であるのです。これが出生図の中で土星を見過ごすわけにいかない理由なのです。このことを理解するには何年もかかるでしょうし、試練を受けとめるにはさらに時間が必要となりますが、その暁には、鍵を見つけて、ゲートを越えていくことができることでしょう。(続く)

原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2013-02-02 00:00 | 占星術  

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