恥と罪と変容 (2)

例を挙げてみましょう。おとぎ話の大半は罪に関係していると、メキシコのクラスの中で私が話した時、生徒の中の1人からピノキオの話が出たのですが、ここでそれを取り上げたいと思います。皆さんの多くはウォルト・ディズニーによる映画(ピノキオ)でその話を知っていることと思います。カルロ・コッローディによる原作(ピノッキオの冒険)はあまりに陰鬱なので、ここでは主にディズニーの映画から用いることにします。



ピノキオの物語は最初から最後まで、人間になろうとするそのプロセスの物語なのです。では、そのプロセスを見ていきましょう。木の操り人形が命を吹き込まれた瞬間に、自分が普通の子供ではないことに気づき、それを恥じて、彼はただひたすら人間になりたいと望みました。ゼペットじいさんは、優れた木彫り職人でしたが、年を取り、孤独を感じて、息子が欲しくなります。もともと弱い性格で、うつ気味な父親の子供は自分が不完全であると感じてしまい、その子自身のアイデンティティも恥の感覚と結びつくこととなります。ピノキオは受け入れられ、賞賛されたがりますが、あいにく彼は理想とする自己レベルまで到達しえず、やがて嘘をつくことになるのです。しかし嘘つきは物事を悪くするだけで、現実を決して変えてはくれません。

ユアン・ファーニー教授によると、マーロウベン・ジョンソンのような作家の中には、恥は死に至らしめ、見せしめの懲罰に行き着くと言う人もあり、また人間のありとあらゆる態度を探求した偉大なる詩人シェイクスピアにおいては、恥は肉体の'deformity'(変形、奇形)を引き起こすと言っています。次回からはシェイクスピアのオセロハムレットリア王の三つの悲劇を探求して行きたいと思っています。恥の意識が主人公のアイデンティティにどう働いているのか、また、真の自己を発見するプロセスにおいて変容がどのようにして実現していくのかを見ていきます。ここでとりあえず、我らのピノキオ君に恥の意識がどう働いているのか、というところから見ていくことにしましょう。

分かりやすい例は、ピノキオの'deformity'(変形)は罪悪感と関係していると考えることでしょう。このおとぎ話の中には、罪があちらこちらにちりばめられているのですが、ピノキオが罪悪感を感じるのは、彼がいたずらっ子でお父さんの言いつけを守らないからです。しかしこの物語の主題が、本物の人間になることと踏まえると、ピノキオが嘘をつくと鼻が伸びるのは、彼の恥の感覚によって起こる'deformity'(変形)だと言うことができます。またこの話の中には他にも、彼がロバになる、といった外観が変わる(変形)エピソードが存在します。普通の男の子になりたいと切望している木の操り人形は、自分がその望みが適うに値するということを証明せねばならないのです。人間というのは尊厳を持つ存在であって、嘘つきは自分に敬意を払うことができません。周りからいいように操られるがままの個人が、自己の尊厳を守れるわけがないのです。

ブルー・フェアリーは理想的な自己(本当の人間)を表しており、それゆえ魔法の力を持っているのですが、彼女はピノキオに自分の良心に正直であるように言うのです。この良心(責任感と善悪を識別する能力)は、当たり前以下の心の機能であって、だからこそちっぽけなコオロギが良心を表す役回りになっています。ブルー・フェアリーとコオロギは、土星の対極的存在であり、つまり現実の法則に対する理想の自己ということになります。(何かに夢中になり我を忘れている時、私たちは人生の困難な事実を受け入れたくなくて、現実を疎かにしてしまうのです)

ピノキオはクジラに飲み込まれた父親を助けるために海に飛び込みますが、私たちは自分自身の闇と向かい合うために、無意識の世界に自ら飛び込まねばならないのです。また、クジラとブルー・フェアリーは、欠落した母親像の2つの極端な側面を表しています。この冒険は、象徴的な死というものを表しているといえるでしょう。肥大した自我(エゴ)は、変容を引き起こすためには死なねばならなかったのです。(ピノキオは実際に死んでしまいます)このエピソードは旧約聖書の中のヨナとクジラの物語と似ています。私たちの精神の奥底で火を起こすということは、恐れや劣等意識と向き合うことであり、恥じる時の燃えるような感覚は、私たちをふたたび活き活き生きることに向かわせてくれるのです。

少年は生き返り、彼はもはや恥じ入る操り人形ではありません。彼は自身の恥と向かい合うことで意志と自尊心を獲得し、本当の人間になったのです。私たちはこのプロセスをピノキオの視点から見てきましたが、ゼペットじいさん自身の視点から見ることもできます。この場合、ピノキオは年老いたこの男のインナーチャイルドを表しています。かつては創造的で才能にあふれていたにも関わらず、ゼベットは今や意気消沈し孤独に暮らしていました。もはや心で何かに感じ入ることができず、その感情はまるで木のようであり、彼は自分自身を恥じていたのです。本当の感情を持つことができないで、才能があったとて何になるのでしょうか?この芸術家はおそらく悲しい子供時代を過ごしたに違いなく、彼は自分自身のインナーチャイルドを通して、この現実とどのように関わるのかを学ぶ必要があるのです。彼は自分自身で在ることの確かな感覚を、自らの手で獲得せねばならないのです。(終)

原文(英語)はコチラ
恥と罪と変容 (1)

ピノキオ スペシャル・エディション [DVD]

ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社


ピノッキオの冒険 (岩波少年文庫)

カルロ コッローディ / 岩波書店


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by xavier_astro | 2012-08-16 00:00 | 心理  

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