メキシコと古代の神々(1)

今回は、メキシコについての非常に個人的な印象を、皆さんと分かち合いたいと思います。メキシコは私の生まれた国であり、これまでの人生で、異なる時期に幾度かそこで過ごしました。
メキシコについてテーマにするのは容易なことではありません。メキシコのような複雑な国に対しては、どんな定義も説明も、どうしても部分的で主観的になってしまうからです。

ラテンアメリカの大半の国々と同じように、メキシコは途方もない程の種類に富んだ資源と景色を持つ美しい国でありつつも、いまだ、そのアイデンティティを守ろうとしている非常に若い国でもあります。スペインの征服者たちが到着した時、彼らはそこに太古の偉大な文化を発見しましたが、彼らによる征服とその攻撃によって、全てが破壊されてしまいました。スペイン帝国は300年間、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)として知られる領域を、独立戦争が起こる19世紀初頭まで治めていましたが、古代の先住民メシーカと自らを呼んだアステカ族の名に因んで、メキシコと呼ばれるようになりました。そして19世紀中頃のアメリカとの戦争によりその半分の領土を失うこととなります。



植民地時代、スペイン人が異なる先住民たちと交わったことにより、独立してからというもの、国の問題は、スペイン人でもなく純血の土着民でもない、多種多様な混血の人々が、アイデンティティーを求めるための長い道のりを歩むこととなったのです。おそらく純血の土着民は人口のたった10〜15%しかいなく、純粋な白人(ヨーロッパ人)に至ってはそれよりも少なくなります。

白人は征服者側であり、悪人であり、土着民は犠牲者であるのです。スペイン人によってアステカの聖なる寺院や聖地が粉々に破壊された時に、カトリック教が強要されたので、人口の大半の者はカトリック教徒となりました。承知のようにキリスト教は犠牲者のイメージを美化する傾向にあり、犠牲者と貧しい人々は天国に行くのです。

スペインの征服者たちは無骨で荒々しいタイプの男であり、汚らしい暴君だと言われていました。それに比べアステカやマヤや、その他の人々は身綺麗で洗練されていたとされています。確かに鋼の鎧を身に着けたスペイン兵はそれを簡単には脱ぎ着出来なかったでしょう。ある記録には幾人かの兵士はその悪臭で知られていたとあります。そのようにして、古代メキシコの過去の栄光は、ある種の理想のタイプとなったわけですが、肌の色について実際には、白い肌の色が優秀さとハイステータスの印となっています。

もちろんこれは非常に一般的なコメントであり、社会構造的に、優秀な土着の人々が社会において高い重要なポストを担うことは可能です。このような巨大で複雑な国においては、例外があるのが通例であり、それは特にアートの世界で言えることで、最も有名で有能な壁画家のディエゴ・リベラは土着の出でした。

 ※参考 ディエゴ・リベラの作品

実際に、ものすごい裕福で立派な家のディナーに呼ばれたとしたら、そこの主人が、社会の不正や貧しい人々の政党への投票について議論したり、征服者たちの犯したおぞましい行為や、アメリカのメキシコに対する虐待行為について話している場に居合わせるかもしれません。しかし、そういったことを話しているのはたいてい白人、またはヨーロッパ系の人々であり、そこにいる全てのメイドや使用人が土着系の人々であることに気づくことでしょう。もちろん、また再びその家に招待されたいのならば、あなたはこの事実の他言は無用です。メキシコは政治的に正しい談話をする国なのですが、裕福な人は悪者で不正を働く者であり、貧しき人は無垢な犠牲者で、資本主義を擁護する政治家は利己的であり腐敗している、というようなお決まりの話を、もしも馬鹿げた政治家や政党が利用し始めたならば、恐ろしいことになるでしょう。

皮肉な言い方をしましたが、これら私が記述したこと全ては、一般的などんな百科事典の中にも、おおよそ書いてあることなのです。私がシンボルとアーキタイプといった違った観点から探求しようとしていることは、世界中のニュースで目にする、メキシコにおける暴力やテロが増加していることの、その真の意味です。

その状況を明確に説明する政治的、社会的根拠、それは、アメリカで消費されるドラッグの巨大なマーケットへの供給です。ドラッグ中毒は、メキシコや他のラテンアメリカの社会的な問題でもありますが、アメリカに流れていくドラッグの比ではありません。貧困と失業、そしてメキシコの政治的腐敗といったものが、いともたやすく若者たちを麻薬取引の餌食としてしまうのです。しかしこれら全てのことは、私たちの観点からいくと何を意味しているのでしょうか?

メキシコが国として誕生したのは1821年9月28日18:23、メキシコシティーにおいて独立宣言が署名された時です。それは非常にはっきりとしたイベント・チャートであり、それ以前は、メキシコは一連の異なった統治の時期(帝国)(トルテック、マヤ、アステカ)が続き、それに続いてスペインの植民地時代となりました。この独立条約以後の全て(例えばメキシコ革命/1910)のチャートは、メキシコのという国家において起きたイベントの一つに過ぎません。独立時のこのチャートこそが深く暗い過去を持った若き国家のチャートなのです。(続く)

 ※参考 メキシコ独立革命
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Mexico Country
28th Sep. 1821
Mexico City


原文(英語)はコチラ
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by xavier_astro | 2011-08-02 00:00 | 占星術  

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